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札幌日大高校セミナー(2020年度学力テストAについて)
さて、先日の日大セミナーに行ってきた話です。
まずは、学テA「おないどし」問題の件に触れないわけにはいかないでしょう。
鷹取先生のこのブログを先に見ていただくと、事の概要が理解できます。
こないだの学テAレビューでは、この「おないどし」問題についてわたしもコメントをしています。
「こんなもので✕をつけるなどあり得ない、論外」という立場で書いたのですが、今回の日大高校セミナーにおいて
「これが札幌北高の採点であれば『おないどし』と書いた生徒に✕が付く可能性が濃厚」
という見解が示されてしまった、というわけです。
まず最初に言っておきますが、わたしの考え自体は一切変わりません。
この問題で「おないどし」と答えてバツにするのは「考え方による」とかそういうレベルではなく、明確に不当な採点であると捉えています。
ただ、たとえ不当な採点であるとわたしが思っていても、現実的にそのような採点がなされる可能性がある、と示されてしまった以上は、今後商売上それに従うしかないことにはなってしまいますが。
ただ、現実問題として従わざるを得ないという話と、その採点が正当なものかどうか、というのは別問題であるということも言っておかなければなりません。
そして、権威ある立場の先生とわたしの考えの対立が明白となったわけですから、わたしとしても「なぜ『おないどし』と答えた答案にバツをつけるのが不当なのか?」という根拠をしっかりと示しておく必要があるでしょう。
鷹取先生のブログから引用させていただくと、
「設問の要求(※)に正しく答えているかという点から『おな どし』と答えた生徒と、『おないどし』と答えた生徒は、差をつけなければいけない。」
それは「受験生の実力を正確に評価し、かつ公平に採点するため」
というコメントがセミナー担当の先生からあった、ということです。
(※「設問の要求」というのは、今回の問題は「漢字の読み方を答えよ」と聞いているのであるから、漢字以外の部分を答えてはいけない、という意味です)
このコメントには、3点の問題があるとわたしは考えています。
ひとつは、何をもって「公平」というべきなのか? ということ。
漢字の問題は、その漢字を正しく運用できているかどうかを問うもので、問題文のつまらない「罠」を見破れるかどうかを問う試験ではないのは明白です。
そのセミナーでもう一人別の先生が、
(そちらの先生は「おないどし」でもマルにすべきだ、という立場です)
「だって生徒が『おないいどし』と読んでいる可能性あるの? ゼロでしょ」
というド正論を述べてくれていましたが、まさにその通りです。
「おないどし」と正しく読めていることが明白なのに、問題文のつまらない揚げ足取りによって2点を得られる生徒と、1点ももらえない0点の生徒に区別されてしまう。
これこそが「公平性が損なわれている」状態だと言わねばなりません。
ふたつめ、「2点の価値」を軽く考えてはいないか? という問題。
セミナーでは、以下のように説明されていました。
「東西南北レベルの高校では、特にボーダーライン上で1点を争う勝負をしている生徒について、絶対に採点ミスがないよう複数回のチェックを経て最終的な点数を決定している」
すばらしいです。採点というのはこうありたいものです。
しかし、そこまでの入念なチェックをしてまで「1点」にこだわる採点をしているのに、この「おないどし」問題で与えられる「2点」をあっさり切り捨てることになぜ躊躇がないのか? と思ってしまうんですよね。
100歩譲って、中間点で1点のみ減点する、というなら(それでも不当だと思いますが)まだ理解はできます。
記述問題の採点にこだわる気持ちは国語講師としても理解できるのですが、記述だろうが選択だろうが漢字だろうが点数は点数なのですから、同様の慎重さがすべての問題に求められて然るべきであると思うのですね。
「この2点って、本当に合否を分ける価値がある2点なのか?」と。
ラストに、今回の問題で「おないどし」と答えることは、設問の要求に本当に答えていないのか? という問題。
だって「おないどし」と読もうが、「おな どし」と読もうが、漢字そのものは正しく読んでいますよね。
「漢字以外の部分を読むな」とは問題文のどこにも書いてないじゃないですか。
「漢字以外の部分を読むな」という指示がない以上、それを理由に✕にする根拠にはなりません。
屁理屈だと思いますか?
でも、それこそ記述問題で考えてみてください。
「問題文で指示されていない内容を書いたらすべて✕」などという基準を認めてしまったら、ほんのちょっとでも余計なことを書いた記述解答は全部0点にしないと筋が通りません。
「登場人物の行動の理由」を答えよ、という60字の記述問題で、本当に「理由」だけを答えますか?
そのときの「心情」も含めて書かないと減点されるケースが多い、というのは国語指導者なら全員知っていることです。
それに、そもそも設問に問われていないことを書いたからと言って点数が減らされたり、0点になることはないですよね。少なくともそんな採点基準の問題はわたしは見たことがありません。
たしかに、余計なことを書いたらその分必要なポイントを書くための字数がなくなるので、必然的に満点が取れなくはなりますよ。
でも、それは「余計なことを書いたから0点/減点」というのとは全く意味が異なります。
以上3点をふまえると、やはり今回の学テA、「おないどし」を✕として採点することに道理は通らない、とわたしは考えています。
ただし、再度念を押しますが、わたしがそう言ったところで現実的にそのような採点がなされる可能性が高いと分かった以上、その前提で今後指導せざるを得ないのも確かなのです。
採点基準、というものはそのぐらい各学校、各塾の指導に明確な影響を与えるものなのですよ。
採点基準を設けるということは「どんなふうに各学校、各塾に指導してほしいか?」という入試を行う側からのメッセージだとわたしは考えています。
今回の「おないどし」問題、これを✕にすべきだという採点基準が一般化することは、どのような影響を各学校、各塾に与えるのか?
そしてそれは国語教育として目指すべき方向性なのか?
と問いかけてみたいと思っています。
さて、そんな中来週は「学テBレビュー」ですかね?
ちょっと修学旅行などの都合上、問題が来週水曜に手に入っているかどうか微妙なのですが……もし間に合ったら来週書きますね。
間に合わなかったら再来週ということで、その場合来週はわたしの趣味の話でもしようかな、と思います。
そして、こんな記事を書いておいて今日は日大高校の先生と呑んだりするのです。