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「国語力」とは結局どういう意味なのか2

3か月前に書いたこのブログ、「続きを書きます」と言って3か月放置したままになってますね。

https://www.fiveschools.com/post/190613-what-is-kokugo1

ということで、講習会も終わり、次のゲスト講師発表はまだできないし(来週か再来週に発表できると思います)、あまりネタのないこの9月のタイミング。ようやく続きを書いてみようかと思います。


(前回のあらすじ)

・国語力とは何なのか。


・国語の先生は、おおむね「国語のテストで点を取れるような何か」を国語力であるとイメージしがち。(狭義の「国語力」)


・一方、一般社会は「国語を使う力」すべてを国語力だと認識する。だから、国語教師に「もっと幅広い国語力」を育てるように要求してくる。(広義の「国語力」)


・しかし、そんなことは不可能に決まっている。「国語力」に関することをなんでもかんでも国語の先生に押し付ける傾向が強すぎる。広義の「国語力」は生徒に関わる全ての人間が関わって育てるものであって、「国語の授業」はその営みのひとつでしかない。


・ただ、国語の先生も今自分がどんな意味での「国語力」を育てようとしているか自覚すべき。昔ながらの「国語」を惰性で続けているのはこの先どうなんだろうか。


まぁ、ザックリまとめるとこんな感じです。

では、続きます。


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そういう意味でわたしが前から面白いと思っているのは

「他科目(数・理・社など)で、『問題文を正しく読み取る能力』は誰の責任で育てるべき能力なのか?」

という議論ですね。


道コンレビューで毎回言ってますが、最近の理科などは「単純な一問一答」の割合がものすごく減っていて、

「これ、ほとんど国語でしょ」

と思うぐらいに長い実験設定を読み解いて、図を駆使して、ようやく答えが出せるという問題が多いんです。

北海道もそうですけど、他都道府県見てもそうです。


となると、他科目の先生から

「最近の子は、なんでこんなに問題文が読めないのか……」

という悩みが上がってきます。その中には

「こんなに問題文が読めないということは、国語教育が悪いんだ!」

という発想になって、

「どうしてこういう問題文が読めるような教育を国語でやらないのか!?」

「今の国語教育はおかしい」

「『作者の気持ち』なんか読み取ってる場合じゃねえだろ」

という圧力へと変化する場合があるわけです。


すると言われた国語教育サイドも

「は? それはお前の仕事だろ」

「お前の仕事をこっちに押し付けるな」

という反発が生まれる。Twitterで何度かこの話題で揉めているのを見ました。


このケース、結構微妙だと思うんですよね。

「なんでも国語科に押し付けるな」という主張は前回のブログで書いた通りですし、まぁ気持ちはわかります。一定程度正しいと思います。たとえば代ゼミでわたしが他科の講師に上記のようなことを言われたとすれば、まさに上記のように返答するしかないでしょう。

(代ゼミ講師にそんなこと言ってくるアホはいませんが……)


しかし、

「理科の問題文を読めるようにすることは理科教師の仕事であって、国語教師には関係ない」

と本当に言い切ってしまっていいのかどうか。

そう言われると、それはそれで疑問なのです。


自分が5教科全部教えるようになって実感してきたことですが、やはり

「問題文から条件や設定を読み取ること」

「その問題で、求められているものが何かを理解すること」

は、理科の知識、理科の領域にとどまらない普遍的・汎用的な「国語ならではの」能力を含んでいると思うんですよね。

正直な実感として、大学入試国語の解法を教えているときと、やるべきことがそんなに変わらない。


やはり「もととなる文章から必要な情報を正確に引っ張ってくる」というのはまさに国語教育が得意とする領域なわけですから、国語を教える人間が具体的にかかわって解決策を提供していくというのはあるべき方向ではないのかな、と。

受験指導、という全体の中での最適をめざす中で、国語教師がもっと積極的に「問題文読解」に絡んでいく方向は大いにアリなように感じるのです。


ただ、現時点で本当にそんなことが実現可能なのかというと……

一般的な国語の先生は理科の問題文なんか読んだことないでしょうし、それに国語の授業は国語の授業で本来やるべきこといっぱいありますからね。

「理科・社会・数学・英語の問題文の読み方」

まで国語の先生の責任範囲ですよ、というのは明らかにオーバー・キャパシティです。

少なくとも今のカリキュラムを維持したままでは不可能です。


一方、他教科の先生は先生で心のどこかで

「こういうのって国語科がやるべきことじゃないの」

と思っているから、自らの責任範囲として「問題文をちゃんと読めるよう指導する方法を開発せねば」と取り組んでいる先生は決して多いとは言えない。


……ということで、今現在「生徒が問題文を読めるように指導するのは誰の仕事なのか」というのが曖昧な状態のまま、なんとなく誰も責任を負わず宙ぶらりんな感じになっているのが現状なのですね。

当然、「理科の問題文を読める能力」を育てる場所・身につける場所は明確に定まっていないわけです。というか、ないんですよ。身につける場所が。


世間では「丸暗記はやめよう」「知識のインプットだけではダメ、アウトプット大事」という風潮がずっと強まり続けていて、その要求に応じて問題文が教科を問わず複雑化し続けてています。

でも、ほとんどの生徒はその「問題文を読む技術」を体系的に教わる機会もなく、教えられる指導者も少なく、当然生徒が訓練を積む場所もないまま受験生になってしまうわけですね。

その結果、「ほんのちょっと問題文が複雑になっただけで道コン正答率15%になる」みたいな事態が連発しているのが現状なのでしょう。


解決策は……難しいですよねぇ。

わたしが一般的な塾や学校を運営しているのであれば、「国語科を中心にして『問題文の読み方』を汎用的な方法論に落とし込ませて、それを他教科担当に展開してブラッシュアップさせていく」

みたいな方法を模索するんじゃないでしょうか。

あくまで指導の責任は各教科にあるけど、その技術を提供するのに国語科が協力するのはやぶさかではありませんよ、という感じ。そのぐらいが現実的な解なのかなぁという気がします。


まぁ、うちの場合はそういう「問題文を読んで正しく答える」技術を伝えるのは得意分野ですから、そんなに困っていないんですが。ここは、わたしが全教科教える今のシステムに一定の強みがあるので、ね。

うちはうちなりに「問題文が読める」生徒を育てるべくいっしょうけんめい指導をしていくだけですが、まぁこんなことをうっすらと考えているのです。


さて、次回は11月のゲスト授業を発表できそうな気がします。

あとは何を書きましょうか。

禁煙の話を書こうかなぁと以前どっかで言ったような気がしますので、そのネタにするかもしれません。

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