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「ダメな大人」可視化の場としてのTwitter

さて、Twitterですが、公式アカウントを開設しました。

https://twitter.com/five_schools

従来のアカウントでこれまでは塾のこととか仕事のこともツイートしていたんですけど。

https://twitter.com/ablamamiray


こっちのアカウントは、もう2009年とかに作ったアカウントで、2010年から本格稼働させた、わりと長いことやっているアカウントなんですね。

で、わたし予備校講師になったのが2011年なものですから、つまりわたしが普通に石油会社のサラリーマンやっている頃からのフォロワーとかがいっぱいいるわけです。


で、基本的にふざけたことばっかり言ってたので、従来のアカウントのフォロワー相手にまじめに仕事の話とかしても、ねぇ? みたいな気持ちがずっとありまして、今回アカウントを分けて運営してみることにしました。


仕事の話に関心がある方は新アカウントをフォローしていただければ、基本的にはフォローバックする方針でやっていってみようと思います。

ただ、RTばかりで全然ツイートしてない人とか、明らかに政治的におかしい人とか、エロ動画の宣伝とかはフォロバしないと思います。


で、適当につぶやいていたら、はじめて軽く広まったのがこのツイート。

惜しくも2000RTは行きませんでしたが、5000favクラスはひさしぶりでした。

@yu1096 昔はほとんど匿名だったからバカは全員未成年ということにできて、夏厨冬厨なんて言えたけど、バカを歳のせいにできなくなったのは確かだと思う 2019年07月15日 14:31
@five_schools 真面目な話、twitterによって「大人にも、本物の馬鹿が大量にいる」ということが未成年にも明確に見えるようになったと思うんですよね。これが彼らの精神性にどのような影響を与えるのかは興味があります。 2019年07月15日 14:33

思いつきでつぶやいたものではありますが、せっかくRTしてもらったので、もうちょっと真面目に語ってみようかと思いまして。


わたしはご存知かもしれませんがプロフェッショナル・レスリングが小学生のころから好きでして、濃密に見ていた時期、あるいは多少距離をとっていた時期はあれど、かれこれ30年近くプロレス界の話題ぐらいは追いかけている状態が続いています。


で、2chのプ板とかにもわりと常駐していた時期があったんですが、ああいう場におけるプロレスの「語られ方」で、間違いなくひとつのエポックとなったのがこちらの書籍です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E8%A1%80%E3%81%AE%E9%AD%94%E8%A1%93_%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E6%BC%94%E6%8A%80

この本で「プロレスというのは全て(一部例外はあるが)勝ち負けが事前に決められている」という主張が、新日本プロレスのメイン・レフェリーと務めた業界人によって為されたことで、それまで常にプロレス言論界につきまとっていた「八百長論争」に完全に決着がついてしまった感があります。

2chでも、この本が出る前は「あの試合はヤヲ、だけどこれはガチ」みたいな会話・論争・喧嘩がなされていたのですが、今では基本的に「プロレスってそういうもの」という前提でほぼ全員がプロレスを語るようになってしまったわけです。

わたしは業界人ではないので事実どうなのかは知りません。ただ、わたしも今は基本「そういうもの」としてプロレスを見ています。


こういう話をすると、「いや、昔もみんな八百長であることを理解していて見ていた」とかドヤ顔で言う人が出ますが、そんなことはありません。それはただの歴史修正です。


もちろん、格闘技をやっている人とか、業界に近い人は知っていたでしょう。

でも、普通の小中高生は本当にグレート・ムタの毒霧で目が見えなくなり、戦闘不能に陥って負けてしまうのだと思っていたんですよ。


しかし「●●vs△△の試合は八百長確実」程度の言い方がされることはあっても、プロレスじたいが基本「そういう仕組み」だという前提での議論は進んでいませんでした。

いや、中にはそういう主張をしている人もいたのでしょうが、少なくともそれを「前提」として会話は進んでいなかった。嘘だと思うなら当時の2ch過去ログを見てみてください。


で、ここからが本題です。

「子どもと大人との関係」においても、同じような変化が起こっているのではないか、とふと思いついてさっきのツイートをしたんですね。


今プロレスの話で述べた「ミスター高橋本」の役割を果たすのが、Twitterにあふれる「ヘンな大人たち」ということです。

アイドルがツイートするたびに性的なリプライを送る人、ひたすら公式アカウントに向かって文句をリプライで送り続ける人、若い女性にDMやリプでまとわりついて相手にされないことがわかるとブチ切れるおじさん、そんな人々がとても「例外」で片づけられないぐらいいっぱいいることは、一定期間Twitterをやっていて仲間うち以外のアカウントをフォローしだすと自然とわかってしまいます。


で、何よりもそういう「明らかにおかしいアカウント」が、ちゃんとサラリーマンをやっていたり、それなりに高い地位についていたりするケースさえも多々あるわけですよ。

となると、普段未成年の人々が接している「一見普通の大人」も、実はネット空間ではそういう「おかしな人」である可能性が俄かに浮かび上がってくるわけです。


昔の小中学生だって「大人の中にも変な人はいる」ことは感じてはいましたよ。

ただそれは「おかしい人も中にはいる」というレベルの経験であって、

「基本的に、大人の中にも相当な割合でバカがいる」

一見まともそうに見える人の中にも、おかしい人がかなりいる」

という事実を、体感として確信を持てる子どもって、昔はそれほど多くはなかったのではないでしょうか。

@soarcreator @five_schools 今も昔も、twitterがなくても、街を少し歩けば、バカは見れるものです 2019年07月16日 15:01

このような意見もそれはそれでもちろん正しいんですよ。

ただ「一覧性があって、ログが残って、テキストの形でアホな大人がアホを晒している」場は過去になかったわけですよ。

昔だって安い飲み屋に通っていれば、大人の醜態はいくらでも見れました。

でも、子どもはそういう大人が醜態をさらす場所に行かないじゃないですか。普通は。

高橋本によって「プロレスの中には、怪しい試合が多い」という認識が、「プロレスって基本そういうもの」という認識へと変化したように、Twitterによって「大人の中にもおかしな人はいる」という認識が「大人も基本はバカ」という認識へ、具体的かつ明確な確信を持って変化してしまう可能性があるのではないかな、と思ったわけです。


それが子どもの精神性にどのような影響をもたらすのかはわからないです。

ただ、いずれにせよ、大人の「ハッタリ」が昔よりも通用しにくくなる気はするんですよね。

尊敬に値する大人と、そうでない大人に明確な差があることが、以前にもまして明確に、ログに残る形で可視化されてしまったわけですから。

「で、オマエはどういう人間なんだ?」

という問いかけを、常に若者から受けている自覚は必要じゃないかなぁ、と感じている京子の吾郎なわけです。


いや、だから大人としてちゃんとしなくてはいけない、と言いたいかというとそういうわけでもなく「ダメな大人で何が悪い、人間なんてそんなもんだ」と開き直る方向性もアリだと思いますけどね。

ただそのへんの自覚がなく、大人が大人であるだけで敬意を払われることを前提として若者と接すると、すごく滑稽に見えるんじゃないかな、とは思うのです。


追記

わたしは大手の企業で数年間勤めて、「サラリーマン」という無個性・没個性の象徴のように語られがちな人々に、たいへんに多種多様な人がいることを学びました。良くも悪くも、ですが。

一見非常に地味で、中学生のわたしだったら「あんな大人になりたくない」と思いそうな雰囲気のおじさんが、会話してみるとすごく頭がよく、おもしろいコメントを連発する人だった、という経験もしました。


今、「おかしな人可視化の場」という側面から話をしましたが、それは同時に「面白い大人発見装置としてのTwitter」という側面も持ちうることを意味するわけです。

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